強烈な昭和時代の経済的成功体験から今でも脈々と続くハードウェア単体売切りビジネス。
日本企業の差別化要素として着目された高品質最適価格のハードウェア製品。しかし、既に変わってしまった世界中の消費者価値観やニーズに適用出来ず、いつの間にか周りを見渡せばMade in Japanの製品やサービスは消えてしまった。
例えば、毎日使うものを取り上げてみてもiPhone, iPad, Mac, AirPods Pro, AppleWatch, fitbit, Dell, LG Display, TUMI, BOSE, Shark, iRobot, dyson, Amazon, Kindle, NETFLIX, Google, YouTube, DeepL, Dropbox, NIKE, Major League Baseballなど。(勿論、それら完成品の内部パーツには今も多くMade in Japanであることもあるが、やはりハードウェア単体または素材単体の売り切り昭和ビジネスに変わりない)
では、一体全体どうしたら良いのか?
鍵は既に皆が気付いているダイバーシティ
日本国民は識字率がほぼ100%で、仕事熱心かつ温厚で、言葉に出来ない暗黙知を受け入れ、集団行動や規律を重んじて行動することが出来る。そのため、限られた時間の中で単一的で高品質な製品を大量に作ることが出来るため製造業に長けていると、よく識者や解説者が語っている。
だからこそ、この素晴らしき昭和の繁栄を築くことが出来た。日本人の特性が強みとなった顕著な功績であると。
はて、本当にそうでしょうか?
私は外資系企業経験者だが、多くの先進諸国の識字率も高く、どの国も比較的仕事熱心です。確かにちょっとした価値観の違いや宗教上の理由で季節によって日本人よりも比較的長い休暇を取得するケースもあります。しかし、それは日本人も意味不明な年末年始お正月休暇、黄金週間、白銀週間、お盆休暇を取得し、かつ年間17日間も国民の祝日で休んでいるので、似たもの同士ではないでしょうか?(むしろ現代の日本人の方が年間を通して休み過ぎだと思う)
人間は国籍変われど集団で生活する生物であるため、それぞれ国で大事にされている暗黙知や集団規律を重んじ行動している。だから決してそれらは日本人のみ持つ特性ではない。
確かに上記一例は、当時の日本企業が製品を世界に送り出し販売する上で差別化要素になり得ていたのかもしれませんが、そのほとんどのは、時代背景や地政学的要素など偶然が重なり合ってできた結果であって、後で振り返ってみて取って付けた理由だと思います。(振り返ってみれば、こうだったね。程度)
そして、その程度の分析理由や一時的な産業界における成功事例として集団行動や規律・道徳教育を学校教育の至る所にも普及させ、画一的かつ同質的な人間を大量に作ってしまった。
そのため、学校ではADHD傾向であったり、ちょっと変わった子供達にも、その子独自の秀でた特性や能力を伸ばすことよりも、押し並べて全教科平均的に良い点数を取ることを求められ、やがて学業そのものに興味を失っていく。そして、それは中学校や高校に入るとそれは顕著に現れる。
お行儀よく大人や先生に合わせられるスマートな多くの子供達においては、自らの興味関心や特性に蓋をして、その子の持つ独創性や個性を押し殺し、全教科平均的なスコアを取りに行く。やがて、入れそうな大学に入学し、入れそうな会社に入社し、仕事を始めると、会社の諸先輩や上司、管理職、社長、そして顧客やパートナーに合わせることを始め、いよいよ味気のない人間が形成される。
こんな状況で、よくダイバーシティなんて言えるか。
そもそも「ダイバーシティが大事」と言っている時点で、多様な価値観を受け入れていないことを露呈している。
心底、本当に多様性を受け入れているだろうか?
世代、性別、出身地、国籍、宗教、食事、趣味、嗜好、考え方について多様な価値観を受け入れているだろうか。
これまで、昭和モデルの延長線上でしか物事について考えられなかったのが大きな理由で新しいイノベーションを生み出せなかったのではないでしょうか?
似通った世代、性別、人種で集まり、忖度会議を続けていたから、新しいビジネスモデルを生み出せなかったのではないでしょうか?
若者やよそ者の力を有効活用できないから、次なる事業の成長カーブを生み出せていないのではないでしょうか?
変わるのであれば、今です。
しかし、公立学校の教育変革には時間が掛かる。だから教育改革に期待するのは筋違いです。
自ら会社、組織、団体、チーム単位で出来ること、マインド・チェンジから実行する必要があると思います。
世の中は変わったと受け入れる
仕事でもスポーツでも勉強でも何事にも上達するには、現在、自分がそれを出来ていないことを「認識」することから始まします。
日常でふと、以下のようなことを思ったり、言葉で発していないでしょうか?
- これだから今の若いのはだめなんだよ。もっと現場に行って学ばなきゃ。
- これだからウチのトップは頭が硬くてソフトウェアのソの字も分かってないんだよなあ。
- これだから外人さんは何を考えているのか分かんないよ。
- これだから日本人はイノベーションを起こせないんだよ。
- これだから男はいいわねって思うわ。
- これだから女は気楽だねって思うよ。
- 関西人のあの何でも強引に笑いに持っていくやり方が嫌いなんだよね。
- 関東はあれやな、すぐアホに反応するな。アホは親しみの証拠やねん。大きな心を持って欲しいわ。
- あなたはお肉食べられないんですか?
- お酒も飲めないんですか?
- もっと外へ出て遊ぶ趣味を持った方がいいよ。
- 社会人なんだから、もっと本読んだほうがいいよ。
でも、誰でも一度や二度、上記のようなことを(言葉に出さずとも)思ったことはありませんか。私は恥ずかしながらあります。だから相手を不快にさせてしまったことがある。だから先ず「認識」をすることから始めました。
多様性を理解して組織の力に変える具体的なステップ
多種多様な価値観の人達が集まって、新たな社会価値を生み出す組織を目指していることを何度も何度も事あるごとに社員やスタッフに発信する。トップ自ら自分の言葉で。用意されたスピーチ原稿など読まずに心の底から自分の言葉で全社員に向け発信する。トップ自ら多様性が重要であることを発信する。すなわちタウンホールのような全社員公開イベントを開き、その後の質問もフリーで受け入れる。トップが多様性を重要視していなければ組織は変わらない。
多様性を優先する上で邪魔になる階層的思考。その最たるものが「役職」での人物呼称。
極端な会社の場合、〇〇社長様と呼称するケースもある。それ、「様様」です。すぐに止めましょう。
役職の違いは専門性や単なる機能と責任の範囲の違いだけであって忖度は一切要らない。それが組織の共通目標を達成するためなのであれば、違うものは違う言いたいことは堂々と言って良し。
若手でも組織のためによく考えて考えた上で発信するのは素晴らしいこと。社長、会長であっても遠慮はいらない。
共通の目的達成のために働く仲間は常に必要に応じて募集する。そして即戦力採用だ。若者を舐めてはいけない。
50-60歳になって新しいプログラミング言語を学び、コードを書きアプリケーション化まで持っていくことは相当な時間を要する。しかし、若手はすでに大学で習得している可能性が高い。組織として新しく加わって頂いた仲間に初めから活躍できるフィールドにアサインしてあげるだけ。(高級言語・スクリプト系言語を得意としている若手エンジニアにラダー言語を無理矢理習わせる必要無い)
修行期間なんて要らない。
〇〇人とか日本人とか全く関係ない。
組織が大事にしている価値観やフィロソフィー、目指す理想とゴールを明確化し、それに賛同してくれる仲間と一緒に冒険する覚悟を持つ。その上でジョブディスクリプション(職務内容記述書)を明確化し、担当するポジションはどんな業務内容なのか範囲、難易度、必要なスキルを開示しお互いに合意すること。
しかし、先ずは組織が大事にしている価値観やフィロソフィー、目指す理想とゴールに賛同して頂けるか?ここを徹底的に相互理解出来ているかが最も重要。ジョブディスクリプションはその次。
年長者や古参が若手に仕事を教えてあげるというスタンスを廃止。
業務を遂行していく上で必要になるルールや業務プロセスや必要技術等は組織としてトレーニングを提供し、お互いにお互いから学び合うというカルチャーが重要。
年長者でも若手でも共通目標達成のために、何の貢献ができるか?というアプローチを常に考える。
日本企業という狭い括りを超えていく
外資企業に勤め様々な国と仕事をして思うことの一つとして、我々日本人は様々なメディアで「日本企業」という言葉を意識しすぎだと思います。
それは、日本人が日本国で興した企業であるため、日本企業を意識するのは当然ですが、多くの企業は既に外国企業と取引をしたり、外国籍の従業員も雇用したり、そもそも上場していたら外国人投資家からの資本も入っているわけなので、あまり自らを狭い括りに縛り付けておく必要はないと思います。
その狭い括りの中で考えることが、多様性の無い思考の元凶なのかも知れません。
多様性を容認すれば、統制が取れずにカオスとなってしまうのではないか?
カオスにならないように、その企業が何のために存在しているのか「共通目標の明確化、明文化」が重要になってくるのだと思います。
しかし、これが最も大事で最も難しい。
私の以前の職場も最大6名の外国籍従業員が従事していたが、1年後の在籍者は3名と半数になってしまった辛い経験がある。
失敗の要因は、共通ゴールの明確化と明文化が全く足りず、企業カルチャーに合わない人間が仲間に加わってしまったこと。
組織メンバーが10名を超えてくると、トップ自らが毎日のように組織の価値観や大事にしているカルチャーを全社員に伝えて相互理解度を確認することは難しくなってくる。その際に大事になってくるのがチーム単位でまとめるマネージャーの存在です。マネージャーが会社のカルチャーとゴールを理解し、日々チームメンバーへ伝えることが出来ない場合は、船頭多くして船山に上る状態。それがカオスを生み出してしまう。
この経験は、いかに多様性と共通ゴールの明確化が重要なポイントであると認識し、反省をしています。
明確な共通目標があれば、異なる背景を持つ人間が集まって、その明確なゴールを達成するため、それぞれ自分が何に貢献できるかを考えることが出来る。
そして、リーダーはその冒険に賛同してくれた仲間を尊重し自由に闊達な議論を重ねてプロジェクトを進めていくという姿勢が肝要。
あの強烈な昭和の成功体験を超えていくには、全く新しいアプローチを考えなければならない。
そのためには、多様な人間が集まり、自由闊達な議論のもと、新時代に適応して顧客ニーズの一歩先を読む強かさが必要。
リーダーはそのために存在すると言っても過言ではない。
- 多様性が重要であることをトップ自ら発信し、率先して様々な社員を意見交換する。(イエスマンと居るな)
- 役職呼称を止める。
- 新卒一括採用を止める。
- ジョブディスクリプションを明確化し、様々な背景の多様な人達に仲間に加わって頂く仕組みを作る。
- 共通目標、ゴールの明確化、そして明文化。
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